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『すべては平和のために』感想 〜ひとりで旅立つスタンドバイミー~

『すべては平和のために』の感想を書いてみました。お時間のあるかたは読んでいただけると嬉しいです。


『すべては平和のために』感想 〜ひとりで旅立つスタンドバイミー~

 この物語では現代の中東の問題や、テロの問題、沖縄の問題、戦場ジャーナリスト、暴力などたくさんの問題が比喩としてたくさん読みとれます。しかし、その入口は青春小説なのだと思います。中高生のみなさんに読んでもらうために、ひと言で表せば「ひとりで旅立つスタンドバイミー」といえるかもしれません。

 あらすじはおおよそこのようなことです。  国と国の戦争はなくなり、各地で「紛争」が絶えず「平和創設」の下、企業が調停を行うようになった世界、という近未来の物語。ある南国の小国で独立紛争が起こり、その交渉役に突然指名されて女子高生の和菜は企業の調停員の一人として現地に旅立つことになった。

 

 今回、他の青春小説と一番違うのが「ひとりで旅立つ」というところです。普通、青春小説は仲間と助けあったり、刺激しあったりしながら困難に立ち向かうのが定番です。『スタンドバイミー』もそうですし、過去の濱野さんの過去の作品でもちゃんと仲間達がいました。しかし、今回は困難に向かうのは和菜一人。(導いてくれるジャーナリストの女性も登場しますが、助けてくれる仲間は登場しません)
 ということは、「一人」で立ち向かうことに意味があるのです。つまり、困難が降りかかった時、みんながとか、会社がではなく、一人一人がどう考えて、どう行動するかが大事なんだといっているのです。
 また、人生の大事な決断は他でもない自分一人でしか決められないんだとも言っているのだと思います。さらには、大きなもののためにではなく、個人の人生を大切にすることが平和に繋がるというメッセージにもとれるのです。


 次に「スタンドバイミー」の部分です。お話はまったく違いますが、共通するところがいくつかあります。
 ひとつは、大きな自然が登場するということです。和菜が向かったマナトという地域は、本の表紙のイメージのように自然が美しい山岳地帯です。その風景に和菜は時々ほっとし、昔の日本の風景のようで癒されもします。
 「スタンドバイミー」でもアメリカの大自然の山や森、渓谷などが冒険の舞台となります。本来、人間が豊かに生きるにはこのような自然が必要です。しかし自然の美しさとは何の関係もなく突如として死や暴力は持ち込まれるから非常にショックを受けるのです。
 そして、その死と暴力に直面するところも重なります。和菜は紛争地域に視察に行き、そこで崩壊した村や、難民となった人々、爆撃で親を亡くした少女などに出会います。

 「スタンドバイミー」でも、4人の少年は死体を探しに冒険へ出かけ実際にそれを発見する。死というものの理不尽さ、人間が暴力を振るうことの矛盾。正しいと思っていた大人のずるさ。それらの前で、自分はまだ子どもで無力だということを実感してしまうところも共通しています。

 国も時代も異なる作品ですが、根底にあるものは普遍的なのでしょう。そして自分の無力さに直面した時の若者をどう描くかが、濱野さんの一貫したテーマでもあると思うのです。
 挫折、大人の矛盾、災害、身近な人の死など、若者達にはどんな時代にも困難が降りかかってくる。しかし、それでもしたたかに小さくても自分なりの希望を見つけることこそが、生きるということなのだと繰り返し描いていると思うのです。

 読み終わった後、『すべては平和のために』というタイトルの意味が違って聞こえてきます。美しく見えた言葉が正反対の皮肉に聞こえてくるのです。それは、尊敬していた兄への見方が180度かわってしまうことでも象徴しています。青春小説という入口から入り、和菜と一緒に旅から帰ってくる頃には、現代の様々な問題について考えるようになっているはずです。

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