oh!chanomart(オチャノマート)のブログ

最新号4号が現在発売中!オチャノマ+アートでオチャノマート。お茶の間で親子で作れるアート作品とそのレシピを紹介する雑誌。毎回「木で作る」「紙で作る」など素材を特集。他にも、特集にまつわるイラストレーターや、ミュージシャン、さらにはおじいちゃんやおばあちゃんの作品も紹介。子ども達の作品は美術作家の白井裕子が指導。

ファレル・ウイリアムス「Happy」→『怪盗グルーのミニオン危機一発-』→『おおかみこどもの雨と雪』

ファレル・ウイリアムス「Happy」が今FMラジオなどで、頻繁に流れていますね。
先日はミュージック・ステーションにも出ていて、すごい人気ですね。

ファレル・ウイリアムス「Happy」→『怪盗グルーのミニオン危機一発-』→『おおかみこどもの雨と雪』この三つには共通点があります。
さて、なんでしょうか?


「Happy」はもともと『怪盗グルーのミニオン危機一発-』の主題歌だったんです。
去年の秋頃のこの映画を見に行って、とてもいい曲だなと思いました。
映画もとてもすばらしかった。
怪盗ですから、ものを盗んで大活躍するアクションも見所なんですが、
ステップ家族の幸せを描いているところで感動するところが多かった。

テップ家族、それは再婚したり、養子だったり、里親になったり、という家族。
アメリカでは、こういう家族を、普通のエンターテイメント娯楽映画に当たり前に描いている。
これがすごいと思うのです。例えば、古くは「アーノルド坊や」ですね。
子どもの頃は何も考えないで見ていましたが、
アーノルドとお兄さんのウイリスは黒人で、
お父さんのドラモンドさんは白人でしたから、養子だったんですね。
アニメで言えば「ルイスと未来泥棒」も
孤児院で産まれた主人公がステップ家族との幸せを描いていました。
とにかく、多様な家族の在り方を描くという
アメリカの子ども向けエンターテイメントの姿勢がとてもいいなと思うのです。


いっぽう日本のアニメでは、やはり「さざえさん」や
「ちびまるこちゃん」「ドラえもん」どれも、家族の描き方は画一的です。

そこに風穴を開けたのが、『おおかみこどもの雨と雪』だったと思います。
おおかみと家族になる。
これだけでも、普通と違う家族だと思いますし、
その後母子家庭として、母の花と、雨と雪が一生懸命、
葛藤しながら生きていくすがたは、
いままでの日本のアニメには少なかった物語だったと思いました。
 そういう意味で家族の多様性、いろんな家族があっていいんだ、
ということを描いた『おおかみこどもの雨と雪』はとても革新的だったと思います。


そして、それを踏まえて、ファレル・ウイリアムスの「Happy」に戻ると、
こんな歌詞が出てきます。


Clap along if you feel like a room without a roof
Because I’m happy

だってハッピーだから
天井のない部屋のような気がするなら
ほら一緒に手を叩いて


屋根、つまり一つ屋根の下ともいうくらいですから、
屋根は既存の家族の形みたいなものを表していると思います。
その天井がない部屋というのは、普通形の家族じゃなくても、ハッピーだよ。
お互いがハッピーなら、形にこだわらなくてもいいよ。
と言っている気がするのです。

これでなんとなく、三つが繋がった気がしませんか?
家族の多様性の描き方が共通してるってことですね。

次号は「布で作る」です!制作進行中です!

現在、次号の製作をしています。

次号の特集は「布で作る」です。

先日、カメラマンの鈴木さんにお願いして、

布をモチーフにした子ども達の作品を撮影してもらいました。
こんな作品です。これだけでも、とってもかわいいのですが、
これがカメラマンさんに撮影してもらうと、
もっとかわいく、すてきに見えるからすごいですよね。
これは、まだ自分がデジカメで撮っただけですよ。
綺麗にとってもらったのはお楽しみってことで、
もう少しお待ちください。

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ぜひ、お楽しみに!

タモリの刷り込み

 

「笑っていいとも」が終わって、タモロスになっている人もいるそうです。

僕はすごいファンじゃないですが、
タモリ倶楽部』を時々見たり、
CDや「坂道の本」を持っているくらいのファンです。

個人的にタモリが「笑っていいとも」で言った言葉がなんとなく残っていて、

忘れられないというものがいくつかあります。

いつのまにかタモリの価値観がすりこまれているので、
僕は「タモリの刷り込み」と呼んでいます。


1. ミュージカルはかっこ悪い

「いきなり歌い出したりして、ミュージカルはかっこ悪いよ。日本人には向いてないよ」


2. 夜になるとカップ焼きそばを無性に食べたくなる

「なんでかわかんないけど、たまに、深夜になるとカップ焼きそばが無性に食べたくなるんだよ、あれなんなんだろうね」


3. 皿洗いは料理しながらやる

「皿洗いは、料理しながらやるね。食っちゃった後だったらめんどくさくてできないもんね」


4. 料理は日常でできる最高のクリエイディブだ

「料理は日常でできる最高のクリエイディブだね。見て楽しんで、作って楽しむ。ここまでは、ほかの事でもできるけど、食ってうまい!ってのは料理しかないからね」


5. 子どもの頃、なで肩で水筒が落っこちてくる

「俺が子どもの頃、遠足行くだろ。その時に水筒を肩にかけるんだけど、それが、何回やってもずるって、落っこちてくるんだよ、俺、なで肩だから」


6. もっとうはてきとう

「てきとうに生きればいいんだよ。だいたいまじめなやつは、がんばっちゃって疲れて病気とかになっちゃうだろ。だからてきとうにやってれば、んなこたあないんだよ」


タモリがしゃべった風に書いてみましたが、僕の記憶で書いているので、

実際に言ったかははっきりしませんが、たぶんこんな内容を言っていたと思います。

しかも、これらは何度か聞いた記憶があります。

あと、タモリは「ハンカチ」を「ハンケチ」って言いますね。


1なんかは高校くらいの時に聞いて、しばらくミュージカルや演劇に偏見もってしまいました。
実際に観たらミュージカルってすごく面白かったんですけどね。

いちばん、印象的なのは、6ですね。
これは仕事をがんばり過ぎて身体壊したり、精神的にきつくなったりしたことのある、大人にじわじわと効いてくる言葉だなと思います。

 

 

『憧れ型の雑誌』と『共感型の雑誌』

雑誌のあり方について最近考えるのが
『憧れ型の雑誌』と『共感型の雑誌』ということです。
 
多くのファッション、インテリア、ライフスタイル、などの雑誌は
「ステキ」なもの「カッコイイ」もので溢れています。
これは『憧れ型の雑誌』の雑誌になります。
そこにある「ステキな生活」「カッコイイ服」を見て、
憧れて、それを欲しいと思う、そういう構造になっています。
(雑誌には広告が入っていて、何かを買わそうとしているから
当然といえば当然ですが)
でも、そこに書いてある値段をみて、
「ちょっとまった」と思うことも多いはずです。
素敵だな、欲しいなと、憧れてみても、すぐには手に入らないものばかりなんです。
値段の問題だけじゃなく、家族の問題や仕事の問題で
「ステキ」や「カッコイイ」が実現したくても
できない人もいるのではないでしょうか?
下から見上げるだけで、手を伸ばすとそこには
目に見えない透明の壁がある。
多くのファッション、インテリア、ライフスタイル、
などの雑誌を見ているとそんな精神構造になってしまうんです。
 
でも、そうやって見上げてばっかりも疲れたなと最近思うのです。
憧れるだけじゃなくて、「わかるわかる!」とか、
「うまくいかないこともあるよね!」とか、
『共感』することも必要だなと思うのです。
上ばっかりみていて、首がつかれたので、
少し、横や、後ろに首を回して、首を楽にさせたい、
そんな感じの雑誌もあっていいんじゃないかなと思うのです。
『オチャノマート』はそんな『共感型の雑誌』雑誌を目指したいと思うのです。

大瀧詠一関連の追悼書籍

昨年の年末、大瀧詠一が亡くなられました。びっくりしました。
ナイアガラーとまではいきませんが、
ファンの端っこの末席の床に正座しているくらいのファンではありました。
 
そして、最近その追悼書籍が続々と発売されています。
 
発売された主要なものは購入しました。
 
どれを読んでも偉大な方だったなと改めて思います。
 
なかでも、一番印象的なのは、
過去の様々な音楽を徹底的に研究してリスペクトし、
そこから自分の作品のヒントを探しているということでした。
現在だけが独立しているのではなく、
過去の音楽があって自分が今製作しているという姿勢を
生涯徹底していたのです。
 
これはデザインやどんな分野の創作においても同じだなと思います。
もっと過去のデザインを研究しつつ、
デザインの系譜を勉強しなければならないと
あらためて思いました。
 
一つ大瀧詠一の影響をお話すると、
大瀧詠一さんのレーベルは「ナイアガラ」といいます。
これは、大瀧→大きい滝→ナイアガラの滝→ナイアガラ、となるわけですが、
私もこれを真似して自分のデザイン事務所の屋号を考えました。
白井→しろい→ブランコ(ラテン系の言葉で白いの意味)→ブランコデザイン
となりました。
 
もっていないCDなどをこれから買い求めて、
まだまだ大瀧詠一さんを研究、鑑賞し続ける日々が続くと思います。
一ファンとしてご冥福をお祈りしたいと思います。

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デザインの本場 <帽子のかぶり方>

最近の街で見かける、帽子のかぶり方の変化に気がつきました。

それは、キャップのかぶり方なのですが、

帽子のつばをまっすぐにして、頭の上にちょこんと浅めにかぶるのが、

どうやら流行みたいですね。

 

私のような昭和生まれのおじさんが若かりし頃は、

帽子のつばは折りまげて深くかぶるのがかっこいいとされていました。

僕は子どもの頃、野球をやっていたので、

帽子のかぶり方には美意識のようなものがありました。

つばの折りまげ方にもこだわりがあって、

なめらかに曲がっているのがいい、という人もいれば、

直角に曲がっているのがいい、という人もいました。

 

野球帽とキャップ、似て非なるものがここにはあります。

 

野球帽というと、それは名前のとおり野球のための帽子ですから、

ぴったりしている方がいいのです。

今でも高校球児はみんなぴったりと深くかぶっています。

 

ではキャップというとそれは、音楽的なものから来ているのではないでしょうか?

あまり詳しくはありませんが、

ヒップホップ的なファッションの影響があると思われます。

しかし、今そのようなかぶり方をしている人が、

他のシャツやジャケットがヒップホップ的かというとそうでもありません。

でも、全体としてそのかぶり方をしておしゃれな感じがするのです。

 

野球帽的な「つば折り深く」のかぶり方から、

キャップ的な「つばまっすぐ浅く」への変化は、

脱こだわり、脱ポリシーというものが見えてきます。

「つば折り深く」からは帽子そのものへの

主張やこだわりが感じられますが、

「つばまっすぐ浅く」からは全体のバランスとして、

帽子があってかっこいいという感じがします。

このかぶり方をしている現代の若者には、

ヒップホップなどの音楽的なポリシーなどは軽く飛び越え、

トータルでセンス良く服を着るバランス感覚をもっているのだと思います。

 

帽子があってかっこいいという感じがします。

このかぶり方をしている現代の若者には、

ヒップホップなどの音楽的なポリシーなどは軽く飛び越え、

トータルでセンス良く服を着るバランス感覚をもっているのだと思います。

 

そういえば、野球帽をかぶっている子どもが最近減りましたね。

TBSラジオの<たまむすび>の博多華丸の出ているコーナーで、

「野球帽のある風景」という特集をやっていましたが、

私が子どものころはみんな野球帽をかぶっていました。

私もそんなにファンじゃなくても巨人の帽子をかぶっていました。

 

あんなに親しんでいた野球帽なのに、

今、大人になってからかぶると、なんだかちょっとバカっぽく見えるから不思議です。

 

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カセットテープのデザイン

部屋を整理していたらカセットテープが出てきました。

中学生や高校生くらいの時にCDからテープへ録音していたものです。

当時の下手な字で歌手名や曲名が書いてありました。

 

友達なんかはステンシル(透明のシールにアルファベットが書いてあって、

こするとその文字が張り付く仕組み)でタイトルや歌手名を作っていて、

すごい奴は、ペンで色をつけたりして、凝っていたものです。

 

ただのカセットテープにそこまで凝って

自分のデザインにしていたというのは、

愛着はモノに宿っていたんだなと思いました。

 

音楽がダウンロードやiTunesになってから、

音楽が売れなくなったことに因果関係があるのかは、

わかりませんんが、

音楽には形がないからこそ、

それへの愛着を形として示す場所として、

カセットテープがあり、

レコードやCDのジャケットがあったのだと思いました。